講師紹介

紙屋 雅美(かみや まさみ)経歴

  • 1999年 国立音楽大学ピアノ専攻卒業。在学中、国立音楽大学定期演奏会の学内オーディション合格、ピアノソロで、プーランク「ナゼルの夜」を津田ホールにて演奏。また、4年間、主にクラリネットのピアノ伴奏者を務める。ピアノ伴奏法を、現在国立音楽大学学長でもある、武田忠善、故・浜中浩一に学ぶ。
  • 2000年 楽器店に所属、ヤマハピアノ個人レッスン講師として音楽教室で指導を行う。
  • 2004年 実父が脳梗塞による認知症を発症。ピアノ講師を退任し、認知症について理解するために介護職員初任者研修の資格取得。介護老人保健施設の認知症専門棟にて介護士として勤務。
  • 2010年 結婚の後、2児の母となる。
  • 2014年 育児による鬱病を発症し、東京から宮崎県都城市へ移住。同年、10月に都原町にて「ひだまりリトミック・ピアノ教室」を開講。ひと月で17名入会。その後、順調にうつ病が改善される。YouTube動画の配信をスタート。教室名を「かみや音楽教室」に変更。
  • 2018年現在 生徒数がリトミック・ピアノ合わせ、約70名となる。

講師挨拶

ここからは、私の紹介です^^

出身は東京都杉並区、父は阿佐ヶ谷にてラーメン屋を経営していました。

猫が大好きで、自宅には黒猫のタマちゃん、三毛猫のみーちゃんがいます^^

趣味は2017年から始めたフラダンスです。ラブソングや、軽快な音楽にのって、言葉を手の動きにのせて表現することの「虜」になりました。

ピアノとの出会い

そんな私がピアノを習い始めたのは4歳の時。どうしても習いたくて、何度も親に頼み込んだそうです。身体が弱く喘息持ちで、幼稚園は休んでばかりでしたが、大好きなピアノの練習は欠かしませんでした。

 

大好きだったピアノでしたが、小学校高学年になっても譜読みが苦手!好きな曲も弾かせてもらえず、練習もサボり始め、厳しいピアノの先生に反抗的な態度をとるようになります(汗)。レッスンでは、いつも手をピシャリと叩かれ、親には「ピアノを辞めたい」と弱音をはいてばかりでした。

 

 

そんな私でしたが、音楽大学附属高校の学園祭に行き、素晴らしい演奏に感動!「もっとピアノが上手になりたい!」「音楽の道に進みたい!」と、覚悟を決めると、親はすぐに教室を変えてくれました。

憧れの音大へ

その後、音大教授のもとで基礎を徹底的に叩き込み、憧れの音楽大学へ合格!あの時の喜びは、今でもはっきり覚えています。

 

音大時代は、特にピアノ伴奏に力を入れるようになりました。

わたしの表現力や音楽性が足りなかった演奏は、クラリネットの厳しい先生たちのおかげで見違えるように変化していきました。いつもピアノは一人で孤独に演奏するものなんだ、と思い込んでいたのが、実はオーケストラのように多彩な音が表現出来るんだ!と気づかされたのです。

 

フレーズ感、拍の取り方、間の取り方、呼吸、音楽に大切なことを自然に養うことができたのは、伴奏のおかげでした。

 

音大生活は、きっと誰よりも楽しみ、謳歌しました^^

 

 

音楽から介護への転身

音大を卒業し、ピアノ指導者になった私は、指導の楽しさや魅力に取りつかれ、「きっと一生の仕事になる」と確信していました。

それが3年経ったころ、実父が60歳を前に、脳梗塞で認知症を発症。人格が変わり、失語症も進行し、徘徊もするようになり、施設へ入所することになります。

 

その頃は「認知症」の父への接し方もわからず、意を決してピアノ講師を退任し、認知症について学ぶために介護職へと転身しました。

初めての高齢者との関わりや、身体や脳の機能についての勉強、命の重さ、尊厳など・・・。ピアノを辞めた悲しみを感じる間もなく、介護の世界にどっぷり浸かることになりました。

介護生活で驚いたことは、失語症で「うーーー」「あーーーー」しか喋らない父親が、私が昭和の歌謡曲を弾き歌いをすると、言葉を失ったはずの父が「赤い~りんごに~♪」

と歌詞を普通に歌いだすではありませんか!私も、周りの施設職員も音楽の持つ力の大きさに驚かされました。

 

それからは、施設でも日々のレクリエーションで音楽を担当。昭和の歌謡曲は、利用者さん達に

 

教えて頂きながら、たくさん歌えるようになりました^^

はやく歌の時間にならないかしら」「あなたの笑顔は元気がでてくるわ!」「昔のことを思い出すわと喜んで頂くようになりました。介護の現場で、音楽の経験が生かされたことは、遣り甲斐身につながりました。

結婚と出産、そして育児から鬱病発症

30歳目前、主人と出会い結婚。子供が大好きで、当然自分も普通に妊娠・出産するものと信じていました。

しかし・・・、繰り返し流産をすることになります。4度目の妊娠時には、血流を良くする薬を毎日服用し、無事に成長。念願の第1子を出産することができました。翌年には長男も誕生し、2児の母となりました。

 

娘が1歳になる頃、近所の公民館で行っていたリトミック教室に入会。

久しぶりにピアノの音やリズム、楽器に触れ、育児疲れもリフレッシュできて、なにより私が楽しんでいました^^

しかし、子育ては、思うようには行かず、いつしか母親としても自信を失っていきました。

 

ある朝、思うように息が吸えない。疲れているのに眠れない。いなくなりたい。悲しくてたまらない。精神病院へ受診すると、すぐに「鬱病」と診断を受け、そこからはただまっすぐ深い闇に落ちていきました。

精神病棟への入院生活で人生を振り返る

自分を失った私は、精神病院に入院。投薬治療を受けながら、だんだんと作業療法を受けるまでに回復すると、「今度は、自分を大切に生きていこう」と思うようになりました。

そして、私のこれまでの人生では、何をしていた時が一番幸せで、楽しかったのかを振り返ると、

「また音楽の仕事をしてみたいな」

と、これまで心の奥底に閉まっていた想いが溢れてきました。

 

 

その後、主人から宮崎県への移住を提案されると、すぐ「宮崎県に行ったら、ピアノの教室開けるかな?」と答えている自分がいました。

第2の音楽人生のはじまり

当初、宮崎市にある主人の実家に居候させてもらい、これから家族が生活する場所を探し始めました。そして、「子育てしやすい環境」という、都城市に興味を持つようになりました。

 

視界に広がる素晴らしい青空、いろんな場所にある広~い公園、イオンが2つもある(笑)、鹿児島にも行きやすく、霧島温泉に行ける、etc….

 

すっかり家族で都城を気に入り、都原町の戸建て物件への入居が決まりました。中古のアップライトピアノを用意して、ここが初めての自分の教室、「ひだまりリトミック・ピアノ教室」となりました。

 

手書きのチラシを近所に配り始めると、続々と体験レッスンの予約が入り、ひと月で17名の生徒さんにご入会して頂きました。

 

 

まだ抗うつ薬を服用しながらの教室運営だったので、長く続けられるかわからない不安もありましたが、生徒たちが楽しみながら上達していく姿を見ると、自分もどんどん力が湧いてきました。

いつしか都城市の人気教室に

平屋の自宅教室で、家族と生活をしながらのレッスンは、すぐに限界がきてしまいます。

近所の南横市町に、2階建ての戸建て物件に空きがあり、これならレッスン中も子供たちは別の部屋や2階で自由に過ごせる!と、スムーズに転居が決まり、現在の南横市教室となりました。

 

 

そして、開講から4年目が経った現在、生徒数は常時60名以上になりました。

 

最近では、今までピアノコンクールには否定的だった私でしたが、生徒さんたちの「挑戦してみたい!」という意欲に押され、コンクール対策などの勉強にも力を入れるようになりました。

すると、また新たなステップに足を踏み入れたおかげで、指導の幅も広がり、スパルタ指導になるかと思いきや、次々と楽しみながら演奏の質を上げるアイデアが沸き上がり、ボールやスカーフ、立って弾いたり目を閉じて弾いたり・・・いつもと変わらずに、笑顔いっぱいにピアノ指導に当たっています。

 

 

すっかりコンクール参加にも前向きになり、生徒たちがトロフィーや賞状をもらって輝いている姿をみると、ああ、この子たちに立派な成功体験をさせてあげられて良かった。そして、「できる!」と思えば、普通の子が、教え方次第でこんなにレベルの高い演奏ができるようになるんだ、と気づかされました。

生徒のニーズはとても多様化している

現在のかみや音楽教室には、生徒さんからの紹介はもちろん、

  • 療育を受けている方
  • 障がいをお持ちの方
  • 大人の方
  • 保育士志望の方
  • 1歳からでもピアノを習いたい方

など、年齢層も幅広くお問い合わせを頂きます。

これもきっと、色々な人生経験を歩んできた私だから与えられた使命なのかもしれません。

 

そして、今後更に、多様化するニーズに応えられる自分でありたいとも願っています。

 

といっても、いつでも一貫しているのは

「自分が楽しく指導できている」

ということ。

自分のために、生徒たちのために、これから出会う人たちのために、これからも精進していきたいです。

 

 

紙屋 雅美